葛西説教20230709②
1.テキスト「第1コリント13章4節」
2.タイトル「愛は寛容」
3.中心聖句「第1コリント13章4節」
愛は自慢せず、高慢になりません。」
4.本文「愛は寛容」
序)「見えないものの存在」
皆さんは、目に見えないものが存在することを知っていますか。たとえば、空気は目に見えますか?見えませんね。では存在しませんか?いいえ、存在しますね。空気がなかったら、呼吸ができずに、死んでしまいますね。
本論)「愛は寛容」
Ⅰ.「ストーリー」
では、愛はどういうものでしょうか。聖書には、愛は寛容だと教えられています。寛容と訳されていることばは、忍耐とも訳せます。ですから、よく忍耐すること、すぐに怒らずに受け入れて正していくことです。次に、聖書から神様が寛容であるお姿を、お話します。
昔、ノアという人が生きた時代。人間はその思うこと、考えることの全てが悪かったと聖書は言います。人は堕落しきっていました。それで神様はその姿を見て、大洪水によって、全ての生きものを滅ぼすと言われました。しかし、今一度ノアに箱舟を造らせて、人間に警告をされました。神様は、ノアが箱舟を造っている間、人間が悔い改めるのを待たれたのです。これが寛容です。神様はがまんにがまんを重ねて、限界までがまんして、さばきを決定されましたが、それでも、もう一度がまんして、悔い改めるのを待たれました。この長い忍耐が、寛容です。ですから、がまんできない限界までがまんして、そこで、もう一度がまんすることです。
今度は、イエス様に起きた出来事ですが。イエス様が取税人マタイを弟子にされたとき、マタイは、会食、パーティーを開きました。そこには、取税人仲間や遊女、異邦人、罪びとが集まってきました。それを見た律法主義者たちは、イエス様に、「なぜこんな連中と食事をともにするのか」と責めました。するとイエス様は、「丈夫な人には医者はいりません。いるのは病人です。私は罪びとを招いて悔い改めさせるために来たのです」と言われました。
もし、お医者さんが「病気が治ってから来なさい」と言ったら変ですよね。病気のまま病人を受け入れて、病気を取り除くのがお医者さんの仕事です。それと同じで、「罪を取り除いてから、イエス様のもとに来なさい」と言うのはおかしいのです。罪あるままで罪びとを受け入れて、罪を取り除くのがイエス様の使命です。そしてこれが寛容です。すぐに怒らずに、ありのまま受け入れて、そこから正していくのが寛容なのです。
Ⅱ.「教えられる真理」
愛の第1番目の特徴、それは寛容です。神様がどれだけ寛容であるか、皆さんも分ったでしょう。ノアの時代、すぐにさばいてしまわないで、今一度忍耐されました。寛容とは、すぐにさばいてしまわないで、長く忍耐することです。
またイエス様の寛容も知りました。罪びとを罪あるままで受け入れて、悔い改めに導かれるのです。愛は寛容です。寛容とは、ありのままで受け入れて、そこから正していくことです。
Ⅲ.「あなたはどうしますか」
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と(ヨハネ13:34参ロマ12:10、1ヨハネ4:7)、イエス様は教えられました。あなたは寛容ですか。人に長く忍耐し、人をありのまま受け入れていますか。私たちの周りには、平気で人をいじめたり、傷つけたり、裏切ったり、優しいことばで話しても冷たいことばで返したりする人もいます。そんな人とは、付き合わなければいいのでしょうが。無理をする必要はありません。でも仕返しすればいいのでしょうか?違いますね。長く忍耐して、ありのまま受け入れてから、正していくべきなのですね。
まとめ)「愛は寛容」
自分が寛容でないことに気づいたら、イエス様を信じて、神の愛を知り、神の愛に満たされましょう。イエス様を信じるなら、聖霊様が私たちの心に住み、神の愛が注がれるのです。すると、あなたも寛容な人になっていくのです。
葛西福音キリスト教会 関連ホームページ