葛西説教20230806②
1.テキスト「出エジプト20章1節~6節」
2.タイトル「養育係、律法」
3.中心聖句「ガラテヤ 3章24節」
「律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」
4.本文「養育係、律法」
序)「十戒」
十戒ということばを聞くと、戒めという否定的な面を感じるかもしれません。しばしば旧約聖書は律法的で、新約聖書は恵みであると受け止める人もいるかもしれません。しかし、それは大きな間違いです。
主イエスは律法や旧約聖書を廃棄するためではなく、完成するために来られました(マタイ5章17節~20節)。パウロはキリストを信じる信仰によって律法が確立されることを教えました(ローマ3章31節)。
私たちは、律法によって神のみ旨が分かり、自分の罪を知るのです。その律法を集約しているのが、十戒です。私たちは律法を行う力がないことに気付き、私たちはキリストに導かれなければいけないのです。
本論)「養育係、律法」
Ⅰ「ただ一人の神」
今日からしばらく十戒を学びます。十戒は人間が神の祝福を受けて幸せになるための十の決まりです。今日はその中の最初の二つを学びます。
皆さんは聖書の一番初め、書き出しはなんだか覚えていますか。「はじめに神は天と地とを創造された」でしたね。天地万物を造った方が神です。他に神は存在しません。ですから、皆さんの周りにある神と呼ばれているもの、神社だとか、お寺に祭られているものは、神ではありません。どんなにたくさんの人がそれを祭っていようと、天地万物を造った方だけが神なのです。
たった一つということを唯一と言います。たった一つで、他にはないということです。よく似たことばに第一ということばがありますが、唯一と第一とは違います。第一とは、たくさんある中で一番すぐれていることです。神が唯一であると言うことは、他にかわるものがない、他のものと比べることはできないということです。
だから、どんなものも神の立場においてはいけません。たとえば、神は悪口を言ってはいけないと教えておられます。けれども、神に逆らって、「みんな言っているからいいや」と、悪口を言うのは、自分は神よりも偉いとか、他の人々は神より偉いと考えているのです。
すなわち、自分や他の人が神のようになることです。このような自己中心な生き方は、自分を神の立場において、「わたしのほかに、何ものをも神としてはならない」という戒めを破っていることになるのです。ですから、自己中心は自らを神とする罪なのです。
Ⅱ「ほかに神を造ってはいけない」
皆さんは、今までに、木や石や金属で作った神を見たことがあるでしょうか。それらは、人間が作り出したもので偶像と言います。人間の手が作った、また人間の世話を必要とする木や石や金属の神は、本物ではないのです。その偽物の神は、古くなったから作り直すとか、壊れたら直さないといけないようなもので、本物の神ではありません。聖書の神は天地万物を造った方で、何でもでき、何でも持っておられる本物の神です。
皆さんは、神社に行って拝んだり、お坊さんに来てもらってお経を唱えてもらったりはしないでしょう。しかし、日本には、人が作り出した偶像の神がたくさん祭られています。その偶像の神は、バチを当てたり、祟ったりすると信じられています。ですから、バチが当たらないようにお供えをしなければいけなかったり、祟られないようにお祭りしなければならなかったりします。しかし、天地万物を造った聖書の神は、バチを当てたり、祟ったりしません。むしろ、人が神を信じるなら、恵みを与えて、神の宝として大切にしようと言われるのです。聖書の神には、お供えもお祭りも必要ありません。ただ、人がこのような偶像に惑わされず、聖書の神を信じ、恵みをいっぱい受けることを願っておられるのです。
偶像は、英語でアイドルと言います。皆さんのアイドルは何でしょうか。歌手でしょうか。ゲームでしょうか。趣味でしょうか。会社でしょうか。学歴でしょうか。どのようなものでも神より大切にするなら、それは単なるアイドルではなく、偶像なのです。私たちは、偶像を造ってはいけません。それは、神よりも大切に、優先して大切にするものがあってはならないということなのです。
まとめ)「養育係、律法」
聖書の神は、天地万物を造られた唯一の創造者です。何であっても、他のものを神の立場においてはいけません。また、本当の神は人の手によって造られた偶像などではありません。ですから、自分のために偶像を造ってはいけません。神よりも大切なものがあってはいけないのです。
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