葛西説教20230903③
1.テキスト「使徒の働き1章9~11節」
2.タイトル「イエス再臨の約束」
3.中心聖句「使徒の働き1章11節」
「イエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
序)「再臨を学ぶにあたって」
神学者は言います。現在も一つの方向に向かって世界は進展し、歴史は決して無目的に進んでいるのではないと。この世界の歴史の方向には、はっきりとした神の意志と計画があり、その実現と完成が地上的に明らかにされるのが再臨であると。
また、いつ、どのようにと問うのは、弟子たちのように性急で愚かで、不必要な問いですらあると。それはまさに神の権威に属していることであり、私たちはただ、その日その時を希望と忍耐をもって待ちつつ、来るべき日に向かって生きるように求められていると。では、イエスの再臨の約束、また再臨の時の私たちの状況、そして再臨への備えについて聖書から学びましょう。
本論)「再臨の約束」
Ⅰ「同じ有様で来られます」
「天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」とはいったいどういうことなのでしょうか。
イエスは40日に渡ってたびたびご自身を現わされ、弟子たちはもはやイエスの復活、イエスが生きておられることを疑うことができない者、すなわち復活の証人とされたのです。その後、イエスは弟子たちの前で天に上げられました。復活の主を見た弟子たちは、さらに昇天される主を見たのです。
イエスは再び来られるのですが、再臨のお姿は昇天のお姿とは明らかに異なっています。再臨の時、イエスは栄光を帯びて来られます。しかし、ご昇天の時と同じように、再臨の主は目に見える形をとって来られるのです。今は、目に見えないで私たちと共に、私たちの内におられます。(ガラテヤ2:20)「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」と言われている通りです。
その再臨の時は、目に見える形をとって来られます。この意味で「あなたがたが見たのと同じ有様」で来られるのです。(ルカ21:27)「そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」と約束されました。
そうです。選ばれた者たちの救いの完成のために、天地万物が新天新地に一新されるためにイエスはもう一度、栄光のうちに、目に見える御姿で来られるのです。
聖書の言うところによれば、次のような段階を経ることになります。
①主にあって死んだ者は、死後ただちにパラダイス(安息の場)に移され、そこで主の再臨の時を待ちます。(ルカ16:22)「さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた」。(ルカ23:43)『イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」』。
②主が再臨される時、まず、主にあって死んだ人々が復活し、栄化されたからだをいただきます(Ⅰテサロニケ 4:16)「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり」。(黙示録20:5)「そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。」
③彼らは、空中再臨された主のもとに引き上げられ迎えられます。また生き残っている信者も彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、いつまでも主と共にいることになります。(Ⅰテサロニケ4:17)「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
このようにして、イエスの再臨の約束が私たちに成就されるのです。なんというすばらしい救いの完成でしょうか。これがイエス・キリストにある私たちの救いの全てです。
Ⅲ.「再臨の備え」
⑴目を覚ましていること。(マタイ25:13)「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです」。そして祈りと慎み。(Ⅰペテロ4:7)「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」。
⑵きよい生活。(テトス2:12.13)「不敬虔とこの世の欲とを捨て、・・慎み深く、正しく、敬虔に生活し、・・キリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むように」。
⑶忠実な奉仕。(Ⅰコリント15:58)「いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」。(マタイ24:14)「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」。
⑷忍耐。(Ⅱペテロ3:3.4)「終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、・・「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか」。
まとめ)「イエス再臨の約束」
神の時間は、人間の時間の受け止め方と異なります。(Ⅱペテロ3:8)「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」。ですから、再臨の時がいつかを知らなくても、どなたがおいでになるのかを、私たちは確実に知っていることで十分ではないでしょうか。それゆえ、世界の聖徒たちは「マラナ・タ(主よ来てください)」(Ⅰコリント16:22)と祈り続けます。そして主は言われました『「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン』(黙示録22:20)と。
どうか、私たちの救いの完成である、イエスの再臨を待ち望む希望に生きてください。今の生き方をよく考えて生活を整え、大胆に勇気をもって宣教する者とさせていただきましょう。
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